KEITH's FLAT

Keith最期のフラット 9 Cuzon Place,London
* 「9 Curzon Place」や「12 Cuzon Place」書かれる場合があるが、建物の住所が「9」でフラット番号が「12」ということ。

ロンドン地下鉄 Green Park駅(Jubilee Line, Piccadilly Line, Victoria Line) / Hyde Park Corner駅(Piccadilly Line)

1970年代、Nilssonはロンドンでたくさんの仕事を行なうようになり、Ringo Starr、Keith Moonをはじめとする友達ともしょっちゅう遊ぶ(飲んだくれる)ようになる。そこで、ロンドンでの拠点を作るため、彼はおしゃれなメイフェア地区のCurzon Placeにフラットを購入した。それは彼の所有であったが、何度か友人に貸され…悲しい出来事が起こっている。その1つが親友Keithの他界。その4年前の1974年7月29日には、同じくNilssonのフラットでThe Mamas & the PapasのMama Cassこと、Cass Elliotが亡くなっている。Pete Townshendがそのフラットを買い取ってくれたことは、Nilssonにとって嬉しいことであった。彼は、二度とフラットとあのベッドを見たいとは思わなかったからだ。

Peteは、一体どんな思いでNilssonのフラットを買いとってくれたのだろうか?Keithにとっての兄貴的存在であり続けようと…Keithを守ろうとしてくれたのであろうか。2002年2月13日付のイギリス、インディペンデント誌に、こんな一問一答が載った。
質問:「もし、あの世でKeith Moonに会ったら、まず何て声をかけますか?」
Pete:「お前はオレに対して、5000ポンドの借りがあるんだぞ。」

さて、Keithはいつ頃からNissonのフラットに住むようになったかというと。映画『STARDUST』の撮影時期に便利なよう(もちろんPlayboy Clubにも近かったので)、Taraの家からロンドンのNissonのフラットへ拠点を移したそうだ。ここならロンドンの中心地で飲んだくれても直ぐに帰れるし、飲んだくれてからもレコーディングに行かれるし…。

Keithとフラットにまつわる話がいつくかある。その1つ、Dave Edmundsの話。彼は、Keithのフラットに泊まり朝起きた。その時は彼が見たのは、自分の服を着ているKeith。そしてKeithは彼に向かって「君には後で新しいのを買ってやるよ」と言ったのだ。Edmundsは思った「ここにあるのはおそらくNissonの服なんだろう。あぁ、彼は宿無しのロックンローラーなんだな」と。
そして、Karl Howmanの話によると…。Keithは夜更けまで一緒に遊んだ女達が、The Whoのファンでないことを知り、自分がロックスターだということを証明しようと頑張っていた。しかしそこはNissonのフラット。Keithが彼女達に証明できるモノは1つもなかった。そこでKeithはNissonが置いていったギターを手にし、Nissonの「Good Old Desk」を歌ったのだった。
このような逸話から見ても、Keithが友達とドンチャン楽しんでいた感じがうかがえる。

Keithは常にフラットを使っていたわけではないようだ。Nissonがフラットを改築する際、KeithはケンジントンにあるKit Lambertの家に居候している。また、Keithがフラットを使わなくなったのは、74年7月…Mama Cassが亡くなる2日前。アメリカに行くため、おそらくフラットを貸し渡したのだろう。そして、再びフラットに住むのが1978年。恋人のAnnetteと住む家を探している時、Nissonからの申し出を受けて、再びあのフラットへ戻ってきたのだ。そして、1978年9月7日までそこで暮らすことになる。

ところで、このフラット、どんな内装だったのだろうか?Nissonが米国のGoldmine誌に答えたところによると。そのフラットの内装は、当時Ringoと組んで「Ringo or Robin Ltd.」という会社をやっていたRobin Cruikshankの手によるものらしい。NissonはRobinに「自由に内装をやっていい。ボクは1年の内、6ヶ月しか使わないんだからね」と言って頼んだ(*6ヶ月とは、おそらくビザの関係だろう)。そして6ヶ月後ロンドンに戻ってくると、内装と家具がそろっていて、Nissonを向かえるためドアには花が飾ってあり、冷蔵庫には新鮮な果物が入っていた。
部屋の壁紙は、ロイヤルブルーに黄色と赤と緑の縞模様で、家具はスチールとクロムとガラスで全て統一されていた。まるで宇宙空間のようだ!バスルームには、美しいガラス製のバスタブがあり、そこには木々と草原が掘りこまれていた。こんな素敵なバスルームだが、Nissonが「替えて欲しい」と思ったところが1ヵ所ある。それは2つの流し台と鏡のうちの1つ。片方の鏡はリンゴの木の絵柄だらから良いのだが、もう片方が首吊りのロープなのである。確かにそれは、ちょっと嫌だ。NissonはRingoに電話をし、事情を言った。Ringoはそのようなデザインになっているとは知らなかったので、直ぐにRobinに言って付け替え用のリンゴの木の鏡を送ってきてくれた。しかし、普段はジンクスなんて信じないNissonであるが、このことが2つの悲劇の始まりだと思っているらしい。

私は、この“リンゴの木のデザインの鏡”を見たことはないが、Keithが所有していた「Ringo or Robin Ltd.」製の“リンゴの鏡”なら知っている。2001年にオークションにかけられていたのだ。それはRingoからKeithに贈ったものなので、Nissonが言っているものとは違うだろうが、おそらく同じようなデザインの鏡だと思われる。

私は2000年に初めてフラットを訪れた。その時、戸口に触ることが怖かった。Keithがここから入って、出てくることがなかったと思うと、胸が苦しくなった。しかし、窓を見上げてから後ろを振り返った時に思った…「ハイドパークが近いなぁ。96年のTheWho“Quadrophenia”ツアーでのZakのドラムは聴こえたかもなぁ…」と。
それ以来、ロンドンにいるときは、あのフラットに足を運ぶようにしている。Keithの思い出のために…。

 

(2004/06/06 b-ko : 「B-KO UK」よりテキスト一部修正)

 


2000年2月15日撮影 / 2001年12月9日撮影


2003年4月20日撮影 / 2004年3月29日撮影


2006年7月2日撮影 / 2007年2月21日撮影


2007年4月1日撮影

 

参考文献
・ Harry Nilsson Web Pages “A Little Touch of Schimilsson On the Net
・ www.findadeath.com > Keith Moon Keith's flat from the INSIDE(フラット内の写真を掲載)
・ 『DEAR BOY:The Life Of Keith Moon』 / Tony Fletcher(著) / Omnibus Press
・ 『ロック&ポップ・ガイド − ロンドン、リヴァプール、ダートフォード』 / シンコー・ミュージック
・ 『ブリティッシュ・ロックへの旅』 / 山川健一(文),小川義文(写真) / 東京書籍


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