THE WHO

史上最高のロック・バンドのひとつ、The Who。観客を圧倒するライブ・パフォーマンス、ギタリストのPeteが主に作りだす珠玉の曲の数々は、デビュー後40年近く経っても未だなお私たちを感動させてやまない。ロックンロールがロックへと変貌していった1960年代から21世紀の今に至るまで、第一線で活躍し続けるそのパワーには圧倒されるばかりだ。

MEMBER

The Whoのメンバーは次の通り。

Roger Daltrey(Vo)
Pete Townshend (G)
John Entwistle (B)
Keith Moon (Dr)

Keithが1978年に亡くなった後、1979年からは元Small Faces〜FacesのドラマーだったKenney Jonesが加入。
1982年に解散ツアーを行うが、その後何度か再結成を行った際にはドラムのSimon Philipsなどをサポート・メンバーに迎えている。現在は、Zak Starkeyがドラムを担当。
2002年にJohnが亡くなったが、その時のアメリカ・ツアー以降はPino Palladinoがベースを担当している。
1979年以降は、一部のツアーなどを除いてはキーボードのJohn 'Rabbit' Bundrickがサポートを務めている。また、Peteの弟であるSimon Townshendも、近年のライブなどにおいてサポート・メンバーとして活躍している。

序章

The Whoの40年以上に渡る長い歴史の始まりは、1957年にPete TownshendとJohn EntwistleがActon County Schoolで出会ったことに遡る。同じ学年だった彼らは初め、ディキシーランド・ジャズのバンドを経た後、学内の他の生徒とThe Shadowsのコピー・バンドを結成して、共に音楽を楽しんでいた。
1962年、その前年の1961年に結成されたバンド「The Detours」のギタリストであったRoger Daltreyは、グラマースクールの後輩であったJohnをバンドに誘う。しばらくしてJohnが誘ったのが、同じ学校の友人であったPete。The DetoursはWest Londonのパブやホテルなどで精力的にライブを行い、セミプロとして活動する。しばらくして、Rogerはボーカルの座に収まる。
1964年、TV番組にて同名の「The Detours」がいることが判明し、彼らのバンド名を変更することになった。改名するにあたって、Peteのアート・スクールの友人、Richard Barnesがバンド名を「The Who」にしてはどうかと提案し、採用となる。ここに、「The Who」という、とても印象的なバンド名が誕生することになる。
ちょうどその頃、バンドのドラマーが脱退。しばらくは臨時のドラマーでしのいでいたThe Detoursだったが、その噂を聞きつけたKeith Moonが、彼らが演奏しているOldfield Hotelへやってきて、その破天荒なドラムを披露する。Keithは即合格。ここにThe Whoのラインナップが揃った。

1964年、最初のマネージャーHelmut Gordenが付くことに。しかしほどなく、Gordenの元で宣伝担当として雇われていたPeter Meadenがマネージメントを任されることとなる。Meadenは当時若者文化の潮流のひとつであった「MODS」のリーダー的存在であった。その為彼はThe WhoもMODSな若者として売り出そうとし、服装もMODS風にするようにアドバイスし、バンド名を「The High Numbers」と改めさせる(HighもNumberもMODS用語として用いられていた言葉であった)。
The High Numbersは1964年7月、シングル「Zoot Suit / I'm The Face」を発表する。しかし売れ行きは芳しくなく、結局これがThe High Numbersの唯一のレコードとなった。
その後もライブ活動を地道に続けていたThe High Numbersは、その年よくライブを行っていたRailway Hotelにて二人の人物と出会う。映画の製作のための題材を探していた、Kit LambertとChris Stampである。ライブを見た二人はその魅力に惹かれ、資金繰りに困っていたMeadenからThe High Numbersのマネージメント権を得る。これを機会に、バンドはその名前を再び「The Who」に戻し、より精力的な活動を行っていくのである。

同年11月には、Londonの中心部にあるライブハウス・MARQUEEでの毎週火曜日のレギュラーを獲得する。「MAXIMUM R&B」の有名なキャッチコピーと、未だにThe WhoのイメージともなっているPeteの大きく手を振り上げたポスターが生み出された所でもある。ここでのライブを経て、The Whoは次第にLondonで知られる存在となっていく。
The Whoとしてのレコード・デビューをするべく、Kit Lambertはアメリカ人プロデューサー、Shel Talmyと契約をする。当時The Kinksなども手掛けていた敏腕プロデューサーである。The Whoのレコードは「Brunswick」レーベルから出されることになるが、この時の契約の内容がTalmyにレコード・プレスの権利を与えるものだったため、この後争うことになる。

デビュー:イギリスから世界へ

1965年1月、The Whoのデビュー・シングル「I Can't Explain」がリリースされる。Peteの作ったこの曲は、新人バンドとしては異例の最高8位まであがるヒット曲となった。引き続き、同年5月には2ndシングル「Anyway Anyhow Anywhere」をリリース。この曲も10位まで上昇し、The Whoの人気はLondonのみならず全英、そしてアメリカでも1stシングルに続いてトップ100位に入る健闘を見せ始める。
11月には3rdシングル「My Generation」を発表。「年をとる前に死んでしまいたい」という若者の気持ちを代弁した衝撃的な歌詞、そして爆発するようなサウンドはたちまち評判となり、全英2位まで上昇。The Whoを代表する曲となった。若者の苦悩する心情を表したこの歌で、MODSたちの人気はもちろんのこと、若者の心をつかんでいく彼らは、それから間もなくShel Talmyプロデュースの元、1stアルバム『MY GENERATION』をリリースした。当時まだ自作曲を演奏するバンドがさほど多くなかった時代に、12曲中10曲が自作曲という画期的なアルバムである。
しかしこのアルバムを最後に、1966年2月彼らは「Reaction」レーベルへ移籍する。この時の移籍時のトラブルから、プロデューサーのTalmyは以後5年間、The Whoのレコーディングに対する印税取得権を得たため、結果しばらくはBrunswickとReactionの二つのレーベルからシングルがリリースされる事態となる。

この頃の彼らはモッズ・ファッションに身を包み、ギターやアンプなどを次々を破壊していくパフォーマンスで若者たちの熱狂的な支持を受けていった。ギグの度に楽器を壊していた為、抱えた借金は相当なものだった。

1966年、The Whoはその活動をヨーロッパへ広げ始める。3月にパリに行ったのちは、5月にアイルランド、6月にスウェーデン・デンマーク。10月には再びスウェーデン、デンマーク、そして新たにドイツを回る。
その間に4thシングル「Substitute」を発表するなど、さらに精力的に活動をする4人。12月には、2ndアルバム『A QUICK ONE』をリリース。10分近くもある組曲「A Quick One, While He's Away」など、早くもThe Who独自の世界が垣間見られるもので、全英4位にまで上昇。このアルバムは、Peteだけでなく他のメンバーも初めて曲作りに参加している。

1967年3月、The Whoは初のアメリカ上陸を果たす。この渡米では、ニューヨークで初のライブを行った。その後ドイツ、スカンジナビア、再びアメリカと世界を飛び回る。
この年2回目の渡米ではかの有名な「Monterey International Pop Festival」に、Jimi Hendrix、The Mamas & The Papas、Otis Reddingなどと共に出演。そのステージは凄まじいもので、映画『Monterey Pop Festival』でその様子を見ることができる。7月には早くも3度目の渡米をし、アメリカ各地でツアーを敢行する。
この年の末には、3rdアルバム『THE WHO SELL OUT』を発表。10月に発売されたシングル「I Can See For Miles」は、アメリカでは初のトップ10入りを果たす(ビルボード最高位9位)。

翌年はオセアニア、アメリカなどでツアーを行う一方で、新作はシングルの発表のみにとどまる。毎年1〜2枚はアルバムを出すのが通例だった当時の音楽界ではかなり異例であった。この後も彼らはあくまで自分たちのペースで、アルバム作りを進めていく。

TOMMY

そうして1969年、満を持して発表されたのが2枚組アルバム『TOMMY』である。壮大なストーリーが展開される、それまでのロックにない世界観を表現し、絶賛された。
「ロック・オペラ」と評されるこの作品は、The Whoの代表作の一つである。のちにオーケストラ・バージョンの発表や映画化、あるいはミュージカル化とその世界をさらに広げていった、ロック界でも稀に見る世界の広さを持つ。
この作品を引っ提げて、69年から70年にかけてThe Whoはヨーロッパ、イギリス、アメリカにてツアーを敢行。69年の夏には、伝説となっているアメリカでのWoodstock Festival、及びイギリスでの「Isle Of Wight Festival」に出演。またもや観客の度肝を抜く演奏を披露する。
1970年の5月には初のライブ・アルバム『LIVE AT LEEDS』を発表。この年にも再び「Isle Of Wight Festival」に出演、この年も精力的にライブをするThe Whoは、6月にはニューヨークのMetropolitan Opera Houseでロック・バンドとしては初めての公演を成功させる。『TOMMY』と言う作品は、The Whoの代名詞ともなり、その後も人々に長く愛されていった。

All Over The World

1971年に入り、Peteは新たな作品の構想に入る。『LIFEHOUSE』と名付けられたその作品は、しかしながら余りのスケールの大きさから完成には至らなかった(後にPete のソロ・プロジェクトとして再始動)。その楽曲を集めて作られたのが、アルバム『WHO'S NEXT』である。完成度の高いこのアルバムは、The Whoに初の全英No.1の座をもたらす。
この頃から、少しずつソロ活動も行われるようになっていった。Johnが初のソロ・アルバム『SMASH YOUR HEAD AGAINST THE WALL』を出したのを皮切りに、KeithもFrank Zappaの映画『200 MOTELS』に出演するなど、多方面で活躍し始める。もちろん、The Whoとしての活動も前年ほどではないものの、イギリス、アメリカでのツアーを行っていく。

1972年以降、各自のソロ活動が徐々に増えていった。Peteも初のソロ・アルバム『WHO CAME FIRST』を発表、翌1973年にはRogerも初ソロ・アルバム『DALTREY』を発表する。The Whoとしての活動は、以前のようにツアーに明け暮れるという状態ではなくなっていったが、コンスタントにヨーロッパやアメリカでツアーを行い、シングルを発表する、という自分たちのペースで行っていた。
1972年秋ごろから、Peteは次回作のデモ・レコーディングを始める。バンドとしてのレコーディングは翌1973年に行われ、同年11月に2枚組アルバム『QUADROPHENIA (四重人格)』として発表される。1960年代のMODSを題材にした、ストーリー性を持つこの作品は『TOMMY』とはまた違った世界観を示したことで高く評価され、イギリス・アメリカチャート共に2位にまで上昇する。しかし、ステージ上で再現するのが困難な作品だったこともあり、ツアーでは最終的には数曲のみが演奏されるだけだった。
『QUADROPHENIA』が通して演奏されるようになるまでは、1996年まで待たなければならない。

1973年末ごろからはKen Russell監督による『TOMMY』の映画化が始まる。主役のTommy役はRogerが演じることになり、これをきっかけにRogerは俳優としての側面も見せるようになる。この映画のサウンドトラックはThe Whoを中心に多数のミュージシャンと共に作られた。
1974年は、映画『TOMMY』の撮影で主役のRogerが特に多忙だったこともあり、新作がなかなか作れなかった。そんな状況において、JohnがThe Whoの今までの未発表曲を探し出し、古い曲はリミックスし直して、同年10月にアルバム『ODDS & SODS』を発表。その後、The Whoはイギリス、ヨーロッパ、アメリカを回る大規模なツアーに出る。
1975年3月に映画『TOMMY』公開。サントラも同時に発表される。この年の前半はソロ活動が目立ち、Keithも初のソロ・アルバム『TWO SIDES OF THE MOON』を発表。
この年の後半はThe Whoとしての活動が再び活発になり、10月にはアルバム『THE WHO BY NUMBERS』を発表。1年ぶりの大規模なツアーにも出る。

その後、1976年はツアーの合間を縫って、各自のソロ活動も行われる状態が続いていく。1977年には、約3年ぶりとなるレコーディングと共に、バンドのこれまでの歩みを追ったドキュメンタリー映像『THE KIDS ARE ALRIGHT』の製作にも取り組み始める。しかし、ライブはほとんど行われなくなり、この年のライブとしては、12月に『THE KIDS ARE ALRIGHT』に使う映像を撮る為、London郊外にて観客2000人を集めて行われたものだけとなった。

Keithの死、Kenneyの加入

1977年後半から続けられていたレコーディングは、アルバム『WHO ARE YOU』として1978年8月に発表される。同時に、ドキュメンタリー『THE KIDS ARE ALRIGHT』の製作も続けられる。
そんな矢先の9月7日、Keithが死去。それまでもステージ上で倒れたりなどの兆候はあったが、あまりに突然の死であった。5月25日に行われた『THE KIDS ARE ALRIGHT』撮影の為の、ファンを集めてのシークレット・ギグが、Keithが観客の前で演奏した最後となった。

Keithという、唯一無二の天才ドラマーを亡くしてしまったThe Who。しかし彼らはその後、バンド存続の道を選ぶ。
Keithの後任になったのは、Kenney Jones。1960年代にはThe Whoと共にMODSバンドとして活躍したSmall Faces、70年代にはFacesのドラマーとして活躍し、The Whoとは親しかった人物である。
1979年5月にはKenney加入後初のライブが行われる。9月からは本格的なツアーも再開。しかしそのツアーの終盤、12月アメリカのCincinattiのライブ会場にて、一つだけ開いたゲートに観客が殺到し、11人が圧死するという痛ましい事故が起こる。
1979年6月、約2年前より製作に取りかかっていたドキュメンタリー映画『THE KIDS ARE ALRIGHT』が完成し、同時にサントラ『THE KIDS ARE ALRIGHT』も発表。同年9月には、1973年発表アルバム『QUADROPHENIA』を基に、1960年代のMODSを主人公にした映画『QUADROPHENIA』(邦題:「さらば青春の光」)も公開される。この映画は、その頃高まっていたモッズ・ムーブメントがさらに盛り上がるきっかけともなった。映画のおかげで、The Whoは元祖MODSバンドとして若者から認知されるようにもなる。同時に発表されたサントラ『Music From The Soundtrack Of The Who Film QUADROPHENIA』は、映画の為の新たな新曲も加えたものであった。

1980年は、ツアーと新作レコーディングとが行われた。翌1981年3月には、Kenneyが加わってから初の全曲新作となる『FACE DANCES』を発表。この中からのシングル・カットである「You Better You Bet」は全英9位に入るヒットとなる。しかしこの頃から、Peteの興味はThe Whoよりも自身のソロ活動に移ってきており、そのことも影響してか、新作を発表したにもかかわらずこれに伴うツアーは行われなかった。

解散、そして再結成

1982年、Peteは年内一杯でThe Whoが解散することを表明する。この年の9月には、現時点でオリジナル・アルバムとしては最後の作品となる『IT'S HARD』を発表。その後、解散ツアーを行った。
ここに、The Whoの18年の歴史に、一旦幕が下りることになる。

一度は解散を宣言したThe Whoだが、その後何度か再結成を行っている。
1985年には、アフリカ飢餓難民救済のためのチャリティー・ライブ「Live Aid」に出演するため再結成する。1988年には、英国レコード協会の特別賞を受賞し、その受賞式で3曲演奏。翌1989年には本格的に再結成し(ただし、この時のドラムはKenneyではなくSimon Philips)、イギリス・アメリカにおいて大規模なツアーを行う。
1990年には、「ロックの殿堂」入りを果たす。その後も単発的に「The Who」として何曲かレコーディングを行っている。デビュー40周年の1994年には、彼らの今までの歴史を振り返ることのできる4枚組CD『THE WHO 30 YEARS OF MAXIMUM R&B』 を発表。

1996年6月に行われた「Prince Trust Concert」にて、The Whoは『QUADROPHENIA』を演奏。翌7月から翌年1997年にかけて、「QUADROPHENIAツアー」がアメリカ、イギリス、ヨーロッパで行われ、本格的にツアー活動を再開する。1999年、2000年とアメリカとイギリスで大規模なツアーを行い、2001年には「The Concert For New York City」にも出場、会場を大いに沸かせる。
2002年初頭にはイギリスでライブを行う。その後6月からアメリカにてツアーを行う予定だった。

しかしその全米ツアー初日の前日にあたる6月27日、Johnが突然の死去。
The Whoにとって精神的にも音楽的にも大きな痛手となったが、予定通りツアーを行うことを決め、Peteのソロ活動絡みで昔から縁の深かったPino Palladinoをベースに迎えて約3ヶ月の全米ツアーを敢行した。
ツアー終了以降も、新曲のレコーディング、イギリス、アメリカでのライブと精力的な活動が続いた。

そして……2004年7月。「来日を果たしていない最後の大物バンド」と長らく言われて続けてきたThe Whoが、ようやく日本のファンの前にその勇姿を見せてくれた。横浜と大阪の2会場で開催されたフェス「The Rock Odyssey 2004」で、1時間半の熱い演奏を披露。その有無を言わせぬ迫力と60年代から変わらないロック・スピリットは、会場を埋めた全てのロックファンを魅了した。

日本を発った後は、かつて一度は追い出されたオーストラリア、初めての訪問となるハワイを含む日程をこなして環太平洋ツアーは好評のうちに終了。2005年The Whoとしての活動は「LIVE8」出演のみであったが、各メンバーそれぞれの活動は積極的に行っていた。

2006年、久しぶりのヨーロッパ公演も含めたワールドツアーが6月から開始され、年内にフェスティバル出演を含む計64公演をこなした。10月末には24年ぶりのスタジオ・アルバム『ENDLESS WIRE』を発表。イギリスとアメリカでチャートの10位に入った(全英9位、全米7位)。2007年はアメリカ・ツアーで幕を開け、3月にバンドとして3年ぶりとなる「Teenage Cancer Trust」に出演。5月からは再びヨーロッパ公演を含むワールドツアー後半を再開し、Glastonburyをはじめ各種フェスにも出演した後、北欧を再訪して長かったツアー生活を一旦終えた。

RogerとPete2人による「Teenage Cancer Trust」出演以外、前半にあまり動きのなかった2008年。6月に突然単独来日公演が発表された。短い北米ツアーの後に日本を訪れたThe Whoは、大阪・横浜・さいたま・東京の合計5公演をこなし、再来日を待ち望んでいた日本のファンに大きな喜びと感動をもたらした。12月にはロンドンで3日間のクリスマス公演が行われた。

2009年は『TOMMY』40周年の年であったが、インタビュー等で言われていたような記念ツアーは行われず、秋にRogerがソロ・ツアーを行うに留まった。Peteは新しいミュージカル『FLOSS』の楽曲を制作しており、2010年にリリース、2011年にライブでお披露目をしたいと公式サイトのブログで語っている。

(12th November 2009)


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